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二番目の長時間試合

 投稿者:昭和野球  投稿日:2018年 1月23日(火)05時52分19秒
返信・引用
  次に長かった試合は少し時がさかのぼり
1971(昭和46)年 第53回選手権大会の一回戦 飯坂球場
 郡山商 000 001 100 000 100 1=4 吉沢-橋本
 塙 工  100 001 000 000 100 0=3 小松-小林
                     (延長十六回)
試合時間4時間45分の攻防。十六回表、郡山商は敵失と左前安打を
レフトの悪送球で二、三塁。ここで、絶妙なスクイズバントが決まり
決勝点。塙工の投手は気力でホームへ送球しましたが、間一髪セーフ。
記録は野選でしたが、内野安打でもOKのスクイズでした。
                     福島民友さん?記事より
はるか昔の試合ですが、この年は磐城高校が県大会・東北大会を勝ち進み
甲子園で準優勝を成し遂げた大会でした。
 
 

本県最長時間の試合

 投稿者:昭和野球  投稿日:2018年 1月22日(月)21時17分17秒
返信・引用
  福島県高野連の記録に残る最長時間の試合は下記の試合です。

1988(昭和63)年 第70回選手権大会 ▽二回戦  小名浜球場
 郡山北工 131 300 000 000 001 = 9  円谷、水野-竹内
 双  葉  020 400 200 000 002×=10  矢内、杉本、矢内-小林
                     (延長15回)
試合時間4時間47分。延長15回表に1点勝ち越した郡北工でしたが、
その裏双葉は先頭打者が二塁打。次打者の内野エラーで同点に追いつき、
さらに連打で劇的な双葉のサヨナラ勝ち。
試合の序盤は郡北工のペースでしたが、郡北工の溝井監督は「前半に6点
リードして気が緩んだのが敗因」。
この試合は第二試合でしたが、あまりの激戦で試合終了が午後5時4分。
この日の第三試合「西会津-磐城第二」は翌日の午前8時からに変更となりました。
                      当時の福島民報さんの記事から
 

嗚呼、延長戦4

 投稿者:昭和野球  投稿日:2018年 1月21日(日)08時37分12秒
返信・引用 編集済
  現在無敵の聖光学院時代以前、「無敵」と呼ばれたのは、
昭和末から平成初年にかけての学石川公式戦連勝でした。
その学石の連勝がストップするのではと思われたのが、この試合

1989(平成元)年度春季県大会の二回戦 5月19日 須賀川牡丹台

 安 達 000 000 000 000 000 0 =0  佐藤-富樫
 学石川 000 000 000 000 000 1×=1  古市-石川
                    (延長16回)
絶対的王者・学石がいきなりの大苦戦。公式戦連勝記録があわや途絶える
のでは!?と思われましたが、ようやく16回裏に一死一、三塁から太田選手
が左前サヨナラタイムリー。安達は横綱を土俵際まで追い詰めましたが、
六、八回のスクイズ失敗が痛かった。試合時間3時間6分。
安達の佐藤投手は、初回からストレートが高めに決まり、学石打線は凡打
の山。「最後は完全にスタミナ切れです。しかし、夏への大きな自信となり
ました」と語りました。             福島民報さん記事参照

学石川はこの春の県大会と夏の選手権とも優勝して公式戦連勝記録を伸ばし
ますが、私は昭和の名横綱・輪島関が「負けない横綱」と呼ばれていたこと
を思い出しました。強いチームは“負けない”のだと。
一方、安達は夏も初戦で第三シード郡山と対戦、3-1で敗れました。
 

嗚呼、延長戦3

 投稿者:昭和野球  投稿日:2018年 1月20日(土)17時02分41秒
返信・引用 編集済
  1981(昭和56)年第63回選手権大会の二回戦

  7月23日 ▽二回戦  開成山球場
 白  河 201 000 000 000 000 01=4  玉木-山本、高久
 二本松工 000 010 020 000 000 00=3  安斎-神野
                       (延長十七回)
攻守好打の素晴らしい四時間二十五分の試合。九回までは点の取り合い
でしたが、延長に入ってからは締まった投手戦。延長17回表、白河は
一死一、三塁から白河の九番打者が、三球目のウエストしたボールに飛び
つき見事にスクイズを決め、これが決勝点となりました。
白河玉木投手213球、松工安斎投手254球という、気力を振り絞っての
投球でした。拍手を送りたいです。
この両校は、春季県大会でも飯坂球場の二回戦で対戦。
この時は二本松工3-2白河で、二本松工は春季県大会準優勝。二本松工は
優勝した福島商とともに東北大会出場。二本松工は初戦で東奥義塾に4-3
で敗れましたが、松工四番の正木選手がホームランを放ちました。
二本松工はノーシードでしたが、実力校で実質的に優勝候補でした。
(第一福島商、第二安積、第三磐城、第四福島)の四校がシード校。
                     福島民報さんの記事参照
私のこの日のお目当ては第三試合の「安積-福島北」。当初、試合開始予定
が午後3時半でしたが、松工-白河の大熱戦のため、開始が午後4時35分
となり、試合終了が午後7時14分で、当時は夜間照明設備もなく終盤は
ほとんどボールが見えない状態でした。
しかし、それも“昭和”らしくて懐かしいです。


 

嗚呼、延長戦2

 投稿者:昭和野球  投稿日:2018年 1月20日(土)05時53分55秒
返信・引用
  1980(昭和55)年第62回選手権大会の四回戦

  7月25日 ▽四回戦 開成山球場
 双 葉 000 000 000  000 000 001=1 遠藤-猪狩
 会津工 000 000 000  000  000 000=0 鹿目-小荒井
                     (延長十八回)
双葉遠藤投手が210球、会津工鹿目投手は242球を投げ合い
四時間九分に及ぶ大熱戦でした。今大会NO1右腕の双葉遠藤投手
に対し、会津工鹿目投手は左腕から内外角に球を散らし、カーブは
低めギリギリを突き、強打の双葉打線を抑えました。
双葉は十八回表、一死から三塁打と四球で一、三塁。ここで、双葉
は強打の四番西山選手。西山選手の打球はサードゴロで、会津工の
内野陣は併殺を狙いボールが5-4-3とわたりましたが、一塁が
かろうじて「セーフ」。この間に三塁ランナーがホームインで貴重
な決勝点となりました。
双葉5安打で会津工7安打。九回終了時点では、双葉はわずか1安打。
遠藤投手を上回るピッチングを見せた会津工鹿目投手は「別に疲れは
感じません。ここまできたからには勝ちたかった」と一言。
                       (福島民報さん記事から)
双葉はその後も、準々決勝2-1棚倉、準決勝2-1磐城ときわどい
勝利でしたが、決勝戦では双葉9-0学石川と打線爆発。特に双葉の四番
西山選手は、五回に強烈なライナーを放つと学石・鈴木投手の顔面を直撃、
救急車で運ばれましたが、意識もしっかりして異状なしのようでした。
この西山選手は甲子園でもホームランを放ちました。
双葉高校が二度目の甲子園出場でした。

 

選抜出場校

 投稿者:調べてみました  投稿日:2018年 1月19日(金)19時12分26秒
返信・引用
  1週間後の26日(金)に出場校選考委員会が開催され、15時頃から出場校の発表が
行われます。先日発売された週刊ベースボールのアマチュア球界今年の展望・高校野球
編では、選抜の優勝候補に大阪桐蔭と明徳義塾が挙げられていました。

今年発売された雑誌等を見ると21世紀枠、関東東京の最後の一枠、東海の最後の一枠
がやはり難しそうですね。21世紀枠から選考が始まりますので、仮に21世紀枠で藤
岡中央(群馬)や膳所(滋賀)が選ばれますと、地域性から健大高崎(群馬)や彦根東
(滋賀)がはじかれてしまう可能性があります。21世紀枠の選考如何で結果が変わる
かもしれません。

21世紀枠で総合的に見て高野連が好きそうなのは下関西のような気がしますが、結果
はどうなるでしょうか。選んで欲しいのは由利工、選ばれそうなのは下関西かと思いま
すが、残りは一つは予測不能(プレゼン次第?)です。記念大会でもありますので、ど
こが選ばれるのか楽しみですね。
 

嗚呼、延長戦

 投稿者:昭和野球  投稿日:2018年 1月19日(金)05時52分34秒
返信・引用 編集済
  タイブレイク導入により実質的延長戦が12回までとなります。
そこで、心と記録に残る延長戦をいくつか

1985(昭和60)年第67回選手権福島県大会の三回戦

 7月25日 大会5日目  ▽小名浜球場
勿来工 100 100 020 000 000 000 = 4 大和田-小山
福島東  000 000 004 000 000 001×=  5 小川、鈴木-河野
                       (延長十八回)
創部6年目の新進校福島東が、強豪の勿来工相手に素晴らしい試合を
展開してくれました。試合は勿来工ペースでしたが、九回裏に敵失と
4安打を集中し、奇跡的に同点に。延長十八回裏、福島東は内野安打
で出塁の走者を犠打と内野ゴロで、二死三塁。ここで、福島東多田選手
が勿来工・大和田投手の221球目を中前安打して、4時間10分の
熱戦にケリをつけました。20年振りの引き分け再試合目前でした。
勿来工の大和田投手は「絶対に負けまいと思い、一球一球に全力を
込めた。勝ちたかった。でも悔いはありません」とさわやかでした。
福島東・桜井、勿来工・相原両監督とも磐城OBで、試合中はともに
「気力で負けるな!」と選手たちを激励しました。

奇跡的勝利を収めた福島東は勢いに乗り、翌日第四シードの郡山を7-3で破り
ましたが、準々決勝では再び延長十二回で日大東北に4-3で敗れました。
福島東は、毎年好チームに仕上げます。炎天下の小名浜球場なつかしいです。
                  (当時の福島民報さんの記事を参照)
 

タイブレーク導入2

 投稿者:昭和野球  投稿日:2018年 1月14日(日)17時26分7秒
返信・引用 編集済
  日本高野連は10日、高校野球の主要な公式戦でタイブレークを導入すると
発表しました。この日付で高校野球特別規則の「タイブレーク制度の採用」
項目を改正。春季・秋季都道府県大会と地区大会、選抜大会、全国選手権
大会(地方大会含む)で採用することを明記。

タイブレークは早期決着を図る制度。高校野球では延長十二回までに決着が
つかない場合、十三回から無死一、二塁の状態で打順は前の回から継続。
延長十三回の攻撃で1番打者の場合、一塁走者は9番、二塁走者は8番打者
が走者となります。(これは特別代走のイメージですね)
                                             以上1/11朝日新聞記事より

何故、無死一、二塁からなのでしょうか。社会人野球と大学野球選手権では
一死満塁でしたが。(無死一、二塁からバントで送った形でしょうか)
東京六大学野球新人トーナメントでは無死一、二塁のようでした。
WBC(ワールドベースボールクラシック)が無死一、二塁でしたので、
これに合わせたのでしょうか。

タイブレークに対しては、1969年夏の甲子園決勝で延長十八回と
引き分け再試合を投げ切った太田幸司さんは「100年続いた本質的な
ものを変えてはいけない。地方大会はともかく、甲子園大会では見たく
ないね」とタイブレークの採用を残念がった。その上で「決まったから
には監督が大変だ。対策をきちんと練らないといけない」と話した。

熱心な高校野球ファンとして知られているお笑いコンビ「アンジャッシュ」の
渡部建さんは「大賛成。これだけ野球の知識が広まった今、選手に限界まで
頑張れという国民は少ないでしょう」と歓迎した。「感動的な試合が生まれな
くなるという人もいるが、タイブレークの試合を見慣れていないだけ。
高校球児が一生懸命プレイすれば、どんなルールでも必ず感動は生まれます」
と期待した。(1/11朝日新聞記事より)

オールド系の私としては、太田幸司さんの御意見に一票という感じですが...
渡部建さんのご意見にも説得力がありますね。やはり実際に試合を見てみないと
何とも判断が付きませんね。
サッカーの試合でもPK戦はあまり好きではありません。
 

タイブレーク導入

 投稿者:調べてみました  投稿日:2018年 1月11日(木)12時36分27秒
返信・引用
  夏の予選・甲子園でも導入とのことです(それぞれ決勝を除く)。予選の早い段階
で大阪桐蔭VS履正社が実現し、タイブレークで決着という名勝負が生まれるかもし
れませんね。

明徳義塾の馬淵監督は先攻が優位なのではないかという見解のようです。練習試合
でのタイブレークでは先攻が勝つことが多かったこと、先攻で得点を取ったら、守
備で内野はゲッツー体勢・外野は深く守るなど幅をもたせることができる、などが
主な理由だそうです(もちろん先攻が無得点なら後攻が優位になりますが)。

実際のところは先攻後攻の優位不利は今後の結果次第でしょう。やってみなければ
わからないところはたくさんあります。タイブレークになること自体少ないとは思
いますが、折角なら名勝負を見たいですね。
 

元監督 大塚久泰さん

 投稿者:昭和野球  投稿日:2018年 1月10日(水)05時58分33秒
返信・引用 編集済
  長く会津地区の学校で高校野球の監督を務められた大塚久泰さんの
記事が、1月8日の福島民報に出ていました。(以下)

約三十五年間にわたり高校野球の監督を務めた会津若松市表町の大塚久泰さん(67)
は十五日、市内七日町にそば店を開店する。厳しい練習に付いてきた教え子、応援
してくれた市民らに味で恩返ししようと一念発起した。ノックバットを麺棒に持ち
替え、そば打ちに第二の人生を懸ける。
大塚さんは会津工、喜多方、田島、喜多方商(喜多方桐桜)の各高校で指導した。
自らが磐城高生時に果たした甲子園出場を目標に多くの球児を育てた。二十年ほど
前、部員の保護者が打ったそばの味に心を奪われた。その場で弟子入りを志願し、
打ち方を学んだ。腕を上げ、十年後には飲食店にそばを提供するまでになった。
定年後も再任用で社会科の教壇に立ち、二年前に教職を退いた。「甲子園を目指し
たように何かに挑戦したい。そばの技でお世話になった人を笑顔にできないか」。
妻秀子さんと創業準備を進めた。
店名は「蕎麦(そば)カフェ會(かい)」。七日町通りの商業テナント施設「七日町
パティオ」内に店舗を構えた。テーブル三台とカウンター席がある。原則、営業
は昼のみとなる。
開店の情報を聞いた教え子からは「野球を通じて人としての生き方を教えてくれた
監督を応援しよう」と声が上がる。店内の冷蔵庫は会津工OBらが贈ってくれた。
看板は元球児で漆芸家の坂内憲勝さん(61)が手掛けた。
大塚さんは「ノックバットでボールを打つように、麺棒でも思い通りそばを打てる
ようになった。そばも野球も基本が大切。堅実な味でもてなしたい」と野球を重ねる。
きめ細かい戦術で知られた名将のこだわりは、そば粉と小麦の配分が十対一だという。

大塚さんはちょうど50年前の1968年に、磐城高校の左翼手として春夏連続甲子園
出場しました。今年の夏は第100回選手権ですが、当時は第50回記念大会でした。
その後、長く会津地区の高校で監督を務められた異色の指導者でした。会津地区では、
会津や喜多方の渋川監督、大沼の須田監督、喜多方商の桑原監督さんらが思い出されます。
 

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